子供には簡単に「おともだち」と言うけれど
先日、堀潤さんの個展「分断ヲ手当スルト云ウ事」を観に行くことができました。
小さい子供2人連れて行くにはなぁ、と諦めようと思ったんですが、
子供のせいで観に行けなかった! また私が我慢した!!
と思うのが嫌だったので、思いきって夫を誘って、最終日の終了間近に4人で行きました。
80分以上の映像が流れていたのですが、驚くほど短く感じ、その中に詰め込まれた情報と心にあてられてボロボロ泣きました。
(息子は香港のデモ映像に見入っていましたが流石に飽きて、移動中に寝た娘とともに夫が公園に連れて行ってくれました。ありがとう夫)
沖縄の戦時中の話。
本土の人はいくら上から洗脳のような教育をされても、街で手に入る書物などを読めばそれがおかしいと判る。
けれど島には、そういう思想の書かれた本は入ってこない。シャットアウトされる。
だから、島の人は試験管で純粋培養される。おかしいと思う事もできなかった。
これ、本土の人であっても、知識や情報を得ようとしなければ島の人と同じ状況だったと思います。
そして同じ事は、今の日本でも起き続けている。
与えられた流されている情報だけを聞いていると、純粋培養されるのと同じ状態になってしまう。
1つのニュースが気になって調べると、情報を流す会社によってニュアンスが違っていたり、ニュースで省かれた所に大事な話があったり、切り取られた前後の話が無いと意味が全く変わってしまっていたりする。
そういう事があるのだと知って気を付けていなければ、自分で調べなければ、流れたものをそのまま受け取ってしまう。
それが、そのまま受け取れ、という意図を持って流された情報であったとしたら。
私達は簡単にコントロールされてしまう。
自分で考えること、自分で調べること、何よりまず興味を持つこと。
日常を生きるのに精一杯だから難しいのだけれども、少しずつでもやっていかないと、いずれ困るのは金も権力も無い私のような一般人。
戦争を起こすのは、民主主義の選挙で選ばれた偉い人だったりするわけで。
選挙権を持つ私が何かを変えるために1番簡単にできるのは、ちゃんと調べて選挙に行くことかなと思って投票してます。
101歳のジャーナリストの方の
「今の若者は駄目なところもたくさんあるけれど、キラキラした所もたっくさんある」
という言葉。
北朝鮮の大学生の
「戦争のない世界にしたい」「みんなが幸せになること」「日本語を学んでいるのは日本と国交正常化したいから」
という言葉と重なって、ぎゅっとなった。
その台詞が本心なのか、計算なのかは判らない。
けれど、そうなるのが1番いいのは間違いない。
若い人には1番いい事を目指してほしい。
平壌の学生の女の子が、日本人の学生の女の子に「もう会えないから、忘れないで」とパンダのクリップを渡していた。
「すごいかわいい〜」
と笑う日本人の学生さん。
同じ時代に同じ地球に生まれて、同じ時間を生きている同じ人間。
個人と個人で平和に出逢えば、こうなるのに。
同じ国の偉い人はミサイルを飛ばしてくるし、拉致被害者は帰ってこない。
でも、平壌の学生さん達はみんな、日本人の学生さん達と笑顔で未来の話をしている。
全部同じライン上の話。
1番いい事は判っているはずなのに、大人は何をしてるんだろう。
子供ができて、知らない子供のことも「おともだち」と呼ぶようになった。
最初は違和感が凄くて、
なんで見ず知らずの相手に対しておともだちやねん!
と思ってました。
でも、相手が友達だからそう呼ぶのではなく、「相手と仲良くしてほしいから」おともだちと呼ぶのかもな、と思うようになりました。
浅く広く、柔らかく温かい。
ふわっとした「おともだち」という関係。
みんな仲良く、ともだちは大事に、人をバカにしない、悪口は言わない、人の物をとらない、優しくする、困ってたら助ける、嫌な事をされたら嫌だという、ごめんなさいとありがとうは大事、言われたら許す。
子供には簡単に言うけれど、大人はできるだろうか。
背景が違うのだから一緒にはできない。
確かにそうだけれど。
難しいのだけれども。
若い人が「ともだち」の輪を広めていける世界である事を望みます。
これから生きていく若い人達が、正直な本音で言ってしまえば私の子供達が、幸せであるように。
分断に手を当てる。
人の手が橋になり、お互いの理解に向かう。
国家政府はこじれていても、一般人と一般人ならできると思う。
現状を知る事の大事さよ。
聞くことの大事さよ。
語り合う事の大事さよ。
語るべき事を持つことの大事さよ。
語るべき事を持つために知るべき事の多さよ。
そして、それらを自由にできる今の日本のありがたさよ。
ありがたいは、有り難い。そうそう無いということ。
これからも日本が自由でありますように。
誰もが語ることができますように。
私が書くとえらく薄っぺらい感じになってしまいました。実際に見ると、人によって刺さる部分が色々だと思います。
この個展がいろいろな所で見られると良いのに。
行けて良かったです。
2020年の映画も観に行きたい。